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夜桜酔歩風邪始末 [俺の日常]

 この世は自分のために出来ていない。
その事に気づいたのは保育園の時だった。

 夜桜舞う巨大霊園を酔い歩く。
黒い作務衣に狐の仮面。
手には提灯型の電灯を持ち、舞い散る花吹雪に思いを乗せるとある夜の一刻。

 思い返すのは幼少期。
私は同じ組の、体格が一番に優れたシンゴ君(仮名)に目をつけられて集中的に虐められていた。
殴る蹴る物を投げる。
幼児なので大事には至らないものの、陰湿であった。
 後から聞いた話では、そのシンゴ君の家庭の事情はたいへん複雑であり、4歳か5歳の身空でグレたくなる気持ちには今なら同情しないでもない私であるが、当時は彼が何故、縁も縁もない無抵抗でぼんやりとした体格に恵まれぬ子、すなわち私ばかりを虐めるのか理解不能で、ただひたすら保育園に行くのが憂鬱であった。
 恐怖と戦い続けた保育園生活。
それゆえ、私は4、5歳の身空でこの世は自分にとって不都合の塊なのであると悟り、虐げられる者の気分を理解し、いじめっ子だけにはなるまいと心に誓う奇妙な子供であったのである。

 その頃、初恋をした。
確か、名前をマキちゃん(仮名)といった。
今思い返すと、市松人形そっくりのおかっぱで和風な顔つきをしていた。お世辞にも美幼女然とは言えない子であったが、私はマキちゃんが好きだった。
幼い私がマキちゃんを頭に浮かべる時、そこには黄色く素朴な幻想の花々が今が盛りよと咲き乱れ、どこまでも優しく可愛らしく微笑むマキちゃんを彩っていた。
仲良くなりたかった。
しかし内気な幼い私はマキちゃんとは1度も話した事もなく、遠くから友達といる様子を愛で、眺めるだけの存在だった。
嗚呼、世の中そんなに都合良くは出来て居ないのである。
幼い私は痛感した。
片思いばかりで成就する事などない思慕。
私はその連続ばかり味わって今まで生きてきた……。
もう何も思うまい。
私にまっとうな戀など訪れる事はあるまい。

 霊園の桜はすでに半分ばかりが葉桜となり、夜闇に新緑を溶け込ます。
どうしたものか、昨日から風邪気味であった。
百薬の長たる酒に浸り過ぎたが原因か。
慣れない深酒などするものではない。
墨のごとき天を仰ぐと見える浮かぶ月の深情け。
柔らかな月光に導かれ、私はいつの間にか自宅に戻っていた。
くしゃみを一つして門を閉める。

 翌朝、起きてみるとどうも体調が悪い。
身体に鉛を突っ込まれたかのような怠さとくしゃみ鼻水。
おそらく忌々しい花粉かと考えたがそればかりかどうも体全体が熱っぽい。
いけないいけない。
これはいけない。
風邪をひいて寝込んでも、私のような独り身は、まったくいい事などない。
 奮発して買った割引された賞味期限ギリギリのブタ精肉を紐解き……もとい、ラップ解き、盛大に焼き上げる。
もちろん、肉ばかりではよくないので生野菜や漬け物などを同程度にドンブリに敷き詰めてご飯を上に乗せ掛けて一気にいただく。
 力のつくものを腹に納めて少し気分が良くなった私はいつも通り仕事に向かう。
念のために、今日はマスクを着用して職場に臨むこととする。
周りに風邪をうつすと洒落にならない事態になるからね。

 仕事が一段落して、読んでいない自社発行のタブロイドをチェックしていると、近くで仕事をしているうら若き乙女が勤務を終えて帰ろうとしていた。
私は気にせずタブロイドに目を落としていたのだが、そのうら若き乙女が私に向き直ってこう言った。
「マスクなどしてどうしたのですか? 風邪をおひきになりましたの?」
 私は少々面食らってしまったのだが、目を上げるとそれに応じた。
「ええ、軽く風邪気味のようなのです」
 すると、うら若き乙女は目を見開いて気遣わしげな表情をする。
「まあ! 早くよくなると良いですね、お大事に。ではお先に失礼いたします」
「はい、どうもありがとうございます。お疲れさまでした」
 おお、墓地にこびりつく苔のようにドス黒く腐れた私の心が浄化されて行くではないか。
このような優しい言葉を他人から掛けられるのは初めてのような気がする次第である。
あのうら若き乙女は天使の眷属か。
立ち去る後ろ姿に後光が見えた。
嘘ではない。
どちらかというと、否、確実に暗黒属性に堕ちた今の私には眩しすぎる。















……何を企んでいやがりますか、あのうら若き乙女。

 ああ、風邪気味なのは快方に向かっているようです。
さ、酒でも煽って寝るかな。
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